現在(げんざい)活躍(かつやく)する日本人(にほんじん)()引く(ひく)アメリカ(じん)

収容(しゅうよう)(しょ)跡地(あとち)訪れる(おとずれる)日系(にっけい)(じん)(たち)(1998(ねん))カリフォルニア(しゅう)ツールレイク収容(しゅうよう)(しょ)
Courtesy of Densho, the Klimek Family Collection

日系人(にっけいじん)構造(こうぞう)は、様々(さまざま)変化(へんか)()げおり、日系人(にっけいじん)という言葉(ことば)変遷(へんせん)辿(たど)ってきました。アメリ(りょく)において、「日系人(にっけいじん)」は、(だい)(つぎ)世界(せかい)大戦(たいせん)()に、(ひろ)使用(しよう)されるようになった用語(ようご)です。戦前(せんぜん)使用(しよう)では、日本(にほん)から渡米(とべい)してきた一世(いっせい)(ふく)まれず、現地(げんち)()まれたニ()またはそれ以降(いこう)世代(せだい)()用語(ようご)として使用(しよう)された(れい)がありますが、戦後(せんご)一世(いっせい)(ふく)めるものとなりました。また、日本(にほん)での場合(ばあい)は、外務省(がいむしょう)のサイトには 日本(にほん)国籍(こくせき)(ゆう)しない「日系人(にっけいじん)」との記述(きじゅつ)もありますが、令和(のりかず)(ねん)(2023(ねん))現在(げんざい)海外(かいがい)日系人(にっけいじん)(すう)推計(すいけい)には、日本(にほん)国籍(こくせき)有無(うむ)にかかわらず、日本人(にほんじん)血統(けっとう)をひき、永住(えいじゅう)目的(もくてき)海外(かいがい)居住(きょじゅう)している」(もの)日系人(にっけいじん)(ふく)めているとあります。ただ、日系人(にっけいじん)とされる人々(ひとびと)(なか)でも、自分(じぶん)をどのように()るかには、かなり個人差(こじんさ)があります。日系(にっけい)アメリカ(あめりか)(じん)(なか)にも自分(じぶん)()()いだ伝統(でんとう)(おも)んじる(ひと)もいれば、(むかし)(だい)(つぎ)世界(せかい)大戦(たいせん)(ちゅう)家族(かぞく)にが経験(けいけん)したことなど、まったく興味(きょうみ)のない(ひと)(たち)もいるのです。また、戦後(せんご)海外(かいがい)移住(いじゅう)した日本人(にほんじん)(なか)には自身(じしん)日系人(にっけいじん)認識(にんしき)しない場合(ばあい)(おお)く、世代(せだい)()ての人種(じんしゅ)多様化(たようか)日本(にほん)国内(こくない)国外(こくがい)にある多数(たすう)居住地(きょじゅうち)(ちが)いなどもあいまって、日系人(にっけいじん)定義(ていぎ)自己(じこ)認識(にんしき)は、(かなら)ずしも一致(いっち)しないのが現実(げんじつ)です。

また、漢字(かんじ)日系人(にっけいじん)とアルファベット表示(ひょうじ)にした「nikkei」という言葉(ことば)も、しばしば同意(どうい)(かんが)えられますが、その定義(ていぎ)(こと)なるものです。2001(ねん)開催(かいさい)のパンアメリカン日系人(にっけいじん)大会(たいかい)論議(ろんぎ)された「nikkei」の定義(ていぎ)は、「nikkeiとは、日本(にほん)出身(しゅっしん)先祖(せんぞ)(すく)なくとも1(にん)いる(もの)(およ)び/もしくは、自身(じしん)をnikkeiと認識(にんしき)する(もの)」となっており、本人(ほんにん)認識(にんしき)(まか)せ、包括的(ほうかつてき)()()れるという要綱(ようこう)()()まれています。ただし、この定義(ていぎ)は、「日系人(にっけいじん)」という用語(ようご)が、日系人(にっけいじん)自身(じしん)(すで)()られていないことと同様(どうよう)に、(ひっ)すしも日系人(にっけいじん)全体(ぜんたい)から支持(しじ)されたものではありません。

参考(さんこう)文献(ぶんけん)季刊(きかん)民族(みんぞく)(がく)』187(ごう)、pp. 8-11、 小島茂(こじましげる)「「日系人(にっけいじん)」の変遷(へんせん)とnikkeiの意味(いみ)日系(にっけい)コミュニティーと日系(にっけい)社会(しゃかい)のちがい」、千里(せんり)文化(ぶんか)財団(ざいだん)、2024(ねん)

 

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当時(とうじ)語る(かたる)インタビューから

(わたし)家族(かぞく)日本(にほん)伝統(でんとう)をとても誇り(ほこり)思っ(おもっ)ていて、習慣(しゅうかん)などできるだけ教えよ(おしえよ)うとしてくれました。それと同時に(どうじに)アメリカの生活(せいかつ)習慣(しゅうかん)にも溶け込も(とけこも)うとしていましたね。学校(がっこう)では、日本人(にほんじん)強制(きょうせい)収容(しゅうよう)(しょ)のことは学び(まなび)ませんでした。家族(かぞく)(もの)(たち)日本(にほん)(てき)なもので、そんな(はなし)はしませんでしたね。収容(しゅうよう)(しょ)経験(けいけん)終わっ(おわっ)(なん)世代(せだい)過ぎ(すぎ)てから、(まご)(たち)興味(きょうみ)持ち(もち)始め(はじめ)て、いろいろ調べる(しらべる)ようになったんです。生活(せいかつ)奪わ(うばわ)れ、財産(ざいさん)取り上げ(とりあげ)られ失っ(うしなっ)て、戦後(せんご)またいちから始め(はじめ)ないといけなかった日系(にっけい)アメリカ(じん)体験(たいけん)は、それは大変(たいへん)なものでした。(いま)(さん)(せい)(よん)(せい)時代(じだい)になって、この(はなし)(みな)伝え(つたえ)ていかないといけないと思っ(おもっ)ています。

クリスティー・ヤマグチ

オリンピック、フィギュアスケート(きん)メダリスト、Faces of Americaという公共(こうきょう)テレビ番組(ばんぐみ)のインタビューでヘンリー ルイス・ゲイツに語る(かたる)