トップページ 1: 船出(ふなで) いっせい はんにちとちほう こうか しゃしんはなよめ 2: 緊迫(きんぱく) にせい よくりゅうしょ じょうほうほうこく きょぎほうこく 3: 立ち退き(たちのき) あつりょく しみんどうめい しゅうようじょ ちゅうせいとうろく 4: 不和(ふわ) こうぎしゃたち そうきかいほう にゅうたい ツールレイク 5: 復帰(ふっき) さいしゅっぱつ ばいしょうきんうんどう げんだいのにっけいじん しんせだい ねんぴょう 原文 | ENGLISH 忠誠(ちゅうせい)登録(とうろく) 忠誠(ちゅうせい)登録(とうろく)のアンケート(1943年(ねん)) Courtesy of Densho, the Ikeda Family Collection 1943年(ねん)始め(はじめ)の忠誠(ちゅうせい)登録(とうろく)は、強制(きょうせい)収容(しゅうよう)所(しょ)にいる日系(にっけい)人(じん)の忠誠(ちゅうせい)心(しん)を図り(はかり)知ろ(しろ)うという、ずさんな企画(きかく)と実行(じっこう)で行わ(おこなわ)れた計画(けいかく)の一部(いちぶ)でした。収容(しゅうよう)所(しょ)生活(せいかつ)は、いづれ釈放(しゃくほう)されなくてはならない人々(ひとびと)を傷つけ(きずつけ)ていると悟り(さとり)、政府(せいふ)当局(とうきょく)は、いくつかの目的(もくてき)を持っ(もっ)て忠誠(ちゅうせい)登録(とうろく)を作成(さくせい)しました。内陸(ないりく)部(ぶ)の地区(ちく)に転出(てんしゅつ)を許可(きょか)してもいいのは誰(だれ)か見極める(みきわめる)こと。二世(にせい)の男性(だんせい)達(たち)に兵役(へいえき)を通して(をとおして)、アメリカ魂(だましい)を見せる(みせる)機会(きかい)を与える(あたえる)ことで世論(せろん)の改良(かいりょう)をはかること。そしてアメリカ政府(せいふ)に不(ふ)忠実(ちゅうじつ)とみられる人物(じんぶつ)を隔離(かくり)することでした。当局(とうきょく)はこのアンケートの意図(いと)の説明(せつめい)もなく、物議(ぶつぎ)を呼ん(よん)だ二つ(ふたつ)の質問(しつもん)を投げかけ(なげかけ)ました。27番目(ばんめ)の質問(しつもん)は、二(に)世(せい)の者(もの)がアメリカ軍(ぐん)入隊(にゅうたい)の意志(いし)があるか、28番目(ばんめ)の質問(しつもん)は、アメリカ合衆国(あめりかがっしゅうこく)に忠誠(ちゅうせい)を誓い(ちかい)、日本国(にほんこく)天皇(てんのう)への忠誠(ちゅうせい)を「破棄(はき)」するかというものでした。二世(にせい)の中(なか)には、自分(じぶん)達(たち)を投獄(とうごく)した国(くに)のために戦え(たたかえ)と言わ(いわ)れ、憤慨(ふんがい)した者(もの)もいました。一世(いっせい)は、当時(とうじ)アメリカの市民(しみん)権(けん)の取得(しゅとく)を許可(きょか)されていませんでした。そのために、日本(にほん)との関係(かんけい)を否定(ひてい)することは無(む)国籍(こくせき)状態(じょうたい)につながり、日本(にほん)に忠誠(ちゅうせい)を示せ(しめせ)ば、国外(こくがい)追放(ついほう)の危機(きき)にさらされるという状態(じょうたい)に追い込ま(おいこま)れたのです。アメリカ生まれ(うまれ)の二(に)世(せい)達(たち)は、アメリカ政府(せいふ)から日本(にほん)に忠誠(ちゅうせい)心(しん)を持っ(もっ)ていると思わ(おもわ)れたことに憤り(いきどおり)を感じ(かんじ)ました。この質問(しつもん)両方(りょうほう)に、怒り(いかり)や抗議(こうぎ)心(しん)から「ノーノー(いいえ)」と答え(こたえ)た者(もの)は、全て(すべて)不(ふ)忠実(ちゅうじつ)というレッテルを貼ら(はら)れたのです。親(おや)が開放(かいほう)されれば兵役(へいえき)に就く(つく)とした二(に)世(せい)のように、条件(じょうけん)付き(つき)で答え(こたえ)た人達(ひとたち)も、同様(どうよう)に不(ふ)忠実(ちゅうじつ)とみなされました。 前のトピックへ 当時(とうじ)を語る(かたる)インタビューから あの(忠誠(ちゅうせい)登録(とうろく)の)アンケートが, どうやって配れ(くばれ)らたのかは覚え(おぼえ)ていません。でも27番目(ばんめ)と28番目(ばんめ)の質問(しつもん)は覚え(おぼえ)ていますよ。「この国(くに)に忠実(ちゅうじつ)を誓い(ちかい)ますか?」とういものでしたね。もうひとつは、「言わ(いわ)れた部署(ぶしょ)どこにでも就い(つい)て、合衆国(がっしゅうこく)軍(ぐん)で兵役(へいえき)を果たし(はたし)ますか?」でした。これが日本人(にほんじん)が分裂(ぶんれつ)していった始まり(はじまり)だと思い(おもい)ますね。特に(とくに)帰(き)米(べい)の人達(ひとたち)だったら、いいえって答え(こたえ)ますよ。この国(くに)(アメリカ)で兵役(へいえき)に就こ(つこ)うとは思わ(おもわ)なかったでしょう。二世(にせい)はなんと答え(こたえ)たらいいのか分から(わから)ないし、一世(いっせい)の親(おや)は子供(こども)にどうしろと言っ(いっ)たらいいのか分から(わから)ない。(一世(いっせい)の)親(おや)はもちろん、合衆国(がっしゅうこく)で兵役(へいえき)に就く(つく)ことはありません。アメリカの市民(しみん)権(けん)ももらえなかったんですから。収容(しゅうよう)所内(しょない)では、アメリカ国籍(こくせき)を持っ(もっ)ていて、合衆国(がっしゅうこく)のために戦う(たたかう)べきだと主張(しゅちょう)する人(ひと)もいました。合衆国(がっしゅうこく)に対して(にたいして)非常(ひじょう)に怒り(いかり)を感じ(かんじ)ていた人達(ひとたち)もいて、こちらは「兵役(へいえき)なんかに就く(つく)ものか」と断言(だんげん)しました。その後(あと)は、日本人(にほんじん)同士(どうし)の間(あいだ)での争い(あらそい)ですよ。政治(せいじ)的(てき)な質問(しつもん)だったと同時に(どうじに)、非常(ひじょう)に個人(こじん)的(てき)な質問(しつもん)でもあったので、大変(たいへん)でした。いろいろな感情(かんじょう)があいまって、同じ(おなじ)家庭(かてい)の中(なか)で、意見(いけん)が分かれる(わかれる)こともありましたね。あちこちで家族(かぞく)が崩壊(ほうかい)し始め(はじめ)てしまったんです。 ユリ・チヤマ カリフォルニア州(しゅう)サンペドロ出身(しゅっしん)の二(に)世(せい)、アーカンサス州(しゅう)ジェローム収容(しゅうよう)所(しょ)から解放(かいほう)された後(のち)、人権(じんけん)擁護(ようご)活動(かつどう)家(か)となる