トップページ 1: 船出(ふなで) いっせい はんにちとちほう こうか しゃしんはなよめ 2: 緊迫(きんぱく) にせい よくりゅうしょ じょうほうほうこく きょぎほうこく 3: 立ち退き(たちのき) あつりょく しみんどうめい しゅうようじょ ちゅうせいとうろく 4: 不和(ふわ) こうぎしゃたち そうきかいほう にゅうたい ツールレイク 5: 復帰(ふっき) さいしゅっぱつ ばいしょうきんうんどう げんだいのにっけいじん しんせだい ねんぴょう 原文 | ENGLISH 妨害(ぼうがい)行為(こうい)の虚偽(きょぎ)報道(ほうどう) 「警告(けいこく)!祖国(そこく)は今(いま)危機(きき)にさらされている!」政治(せいじ)的(てき)宣伝(せんでん)ポスター(1942年(ねん))Courtesy of the National Archives and Records Administration 真珠湾(しんじゅわん)攻撃(こうげき)後(ご)の数(すう)ヶ月(かげつ)の間(あいだ)に、ラジオや新聞(しんぶん)記者(きしゃ)達(たち)は、アメリカ西海岸(にしかいがん)の日系(にっけい)人達(じんたち)が日本(にほん)軍(ぐん)を助け(たすけ)、大日本帝国(だいにほんていこく)の手先(てさき)となって働い(はたらい)ているという、根(ね)も葉(は)もない報道(ほうどう)を行い(おこない)ました。特に(とくに)カリフォルニア州(しゅう)の新聞(しんぶん)各社(かくしゃ)は、卑劣(ひれつ)なアジア人(じん)と「黄禍(こうか)」の侵略(しんりゃく)という、使い古さ(つかいふるさ)れたイメージを持ち出し(もちだし)てきて、その長年(ながねん)にわたる反日(はんにち)運動(うんどう)をなおも続け(つづけ)ていたのです。記者(きしゃ)達(たち)は、一世(いっせい)の漁夫(ぎょふ)や農夫(のうふ)は、アメリカの軍事(ぐんじ)基地(きち)の位置(いち)を教える(おしえる)ために、船(ふね)を並べ(ならべ)たり、農作物(のうさくもつ)を形(かたち)に植え(うえ)たりして、敵国(てきこく)日本(にほん)軍(ぐん)の飛行機(ひこうき)に信号(しんごう)を送っ(おくっ)ていると言い立て(いいたて)たのです。それに加え(くわえ)、合衆国(がっしゅうこく)海軍(かいぐん)長官(ちょうかん)は、「第(だい)五(ご)列(れつ)」の活動(かつどう)が太平洋艦隊(たいへいようかんたい)の破壊(はかい)を援助(えんじょ)したと発言(はつげん)しました。ハワイ州(しゅう)の海軍(かいぐん)司令(しれい)官(かん)と連邦(れんぽう)捜査(そうさ)局(きょく)はこれを否定(ひてい)しましたが、一般(いっぱん)市民(しみん)は違い(ちがい)ました。特に(とくに)合衆国(がっしゅうこく)西部(せいぶ)の防衛(ぼうえい)責任(せきにん)者(しゃ) ジョン・ドゥウイット 中将(ちゅうじょう)は、日本人(にほんじん)の血(ち)を引く(ひく)人々(ひとびと)がたどる運命(うんめい)に、破壊(はかい)的(てき)な影響(えいきょう)をもたらせた人物(じんぶつ)です。ドゥウイットは反日(はんにち)感情(かんじょう) をかきたてるような 噂(うわさ)を流し(ながし)、アメリカ西海岸(にしかいがん)に住む(すむ)日系(にっけい)人(じん)が日本(にほん)軍(ぐん)の潜水(せんすい)艦(かん)に信号(しんごう)を送っ(おくっ)て、アメリカ軍(ぐん)の戦艦(せんかん)の攻撃(こうげき)の手助け(てだすけ)をしていると、虚偽(きょぎ)の発表(はっぴょう)を行っ(おこなっ)たのです。連邦(れんぽう)各局(かっきょく)は、この言いがかり(いいがかり)を否定(ひてい)していましたが、アメリカ政府(せいふ)は、このような日本人(にほんじん)の血(ち)を引く(ひく)人達(ひとたち)に対する(にたいする)根拠(こんきょ)のない恐れ(おそれ)をかきたてるような作り話(つくりばなし)を、正式(せいしき)に誤り(あやまり)と証明(しょうめい)する努力(どりょく)をしめそうとはしませんでした。 前のトピックへ 当時(とうじ)を語る(かたる)インタビューから 始め(はじめ)に戦争(せんそう)(第(だい)二(に)次(じ)世界(せかい)大戦(たいせん))が起こっ(おこっ)た時点(じてん)では、地方(ちほう)の新聞(しんぶん)は非常(ひじょう)に冷静(れいせい)でした。シアトル市民(しみん)に、国内(こくない)に住む(すむ)日本人(にほんじん)は開戦(かいせん)とは何(なに)のかかわりもない、非難(ひなん)しないようにと、呼びかけ(よびかけ)ていたのを覚え(おぼえ)ています。4、5週間(しゅうかん)は、静か(しずか)でしたね。少なくとも(すくなくとも)シアトルでは、団体(だんたい)や個人(こじん)が、日本人(にほんじん)に暴行(ぼうこう)をくわえたといような話(はなし)は聞か(きか)なかったです。カリフォルニア州(しゅう)は、それほど平和(へいわ)的(てき)ではなかったようですがね。その後(そのご)、新聞(しんぶん)や報道(ほうどう)機関(きかん)が、反日(はんにち)的(てき)な偏見(へんけん)をかりたてるようになってから、周り(まわり)の雰囲気(ふんいき)は険悪(けんあく)になっていきました。新聞(しんぶん)があんなことさえ書きたて(かきたて)なかったら、あるいは避難(ひなん)命令(めいれい)も、避け(さけ)られていたかもしれません。もともと全く(まったく)不(ふ)必要(ひつよう)なことだったんですから、、アメリカの報道(ほうどう)機関(きかん)が無責任(むせきにん)に、意味(いみ)もなく世論(せろん)を炊き(たき)付け(つけ)なかったら、我々(われわれ)があのように監禁(かんきん)されることもなかったと思い(おもい)ますよ。 ショウスケ・ササキ シアトルに住む(すむ)賠償(ばいしょう)金(きん)運動(うんどう)に参加(さんか)した一世(いっせい)の活動(かつどう)家(か)