強制収容所
1942年から1946年まで、アメリカ政府は、7万人のアメリカ国民(二世)を含む、12万人の日本人の血を引く民間人を拘留するため、「転住センター」と呼ばれる10箇所の強制収容所を運営していました。アメリカ西部と中部にある砂漠と沼地の過酷な設置条件に置かれ、これらの収容所は、小規模な人工の町のように運営されていました。収容者達は所内の農場、調理場、学校、病院、リクレーションホール、新聞出版所などで働き、その管理にもあたっていたのです。それぞれの家族は、一部屋だけの粗末なバラック小屋の住居に住み、混雑した食堂で食事を取り、共同のトイレとシャワー施設を使用していました。運営を担当していた戦時転住局は、通常生活の装いを作り出そうとしましたが、収容者達はたとえ映画を見ようが、ダンスパーティーを開こうが、野球の試合を観戦しようが、鉄柵と武装監視員に囲まれていることは忘れません。この合衆国収容所で、最低限の生活はまかなえたものの、一生かかって積み上げてきた業績を失った老齢者や、学業やキャリアを中断された若者、監禁されて幼年期を送った子供達でさえ、その長期的な心理的、精神的を打撃をこうむりました。全員その人種のために危険者扱いされ、不忠誠だとされたこの国での将来に不安を感じ、家族内や世代間では言い争いが起こり、それは人々の生涯に大きな影響を与えるような結果を招きました。
戦時転住局強制収容所
アリゾナ州、ギラリバー
コロラド州、グラナダ(アマチ)
ワイオミング州、ハートマウンテン
アーカンサス州、ジェローム
カリフォルニア州、マンザナー
アイダホ州、ミニドカ
アリゾナ州、ポストン
アーカンサス州、ローワー
ユタ州、トパーズ
カリフォルニア州、ツールレイク
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