強制立ち退き
1942年の初頭、アメリカ一般市民は、日本軍によるアメリカ本土侵略への危機感をつのらせ、西海岸の政治家達は、日本人の血を引く住民全員を立ち退きさせることを主張しました。真珠湾攻撃に対する怒りは、日本人の顔をしてる者は誰でも敵国日本に同調するだろうという、人種に基づいた憶測を招きます。これに一世の経済的競争力を排除しようという思惑が加わり、アメリカ在住の日本人と、そのアメリカ市民である子供達を含めた12万人を、全員追放しようという世論の圧力は高まりました。連邦捜査局と海軍情報局は、集団追放の必要性を認めず、司法省は立ち退きは基本的人権の蹂躙
にあたるとしました。それにもかかわらず、フランクリン・ルーズベルト
大統領は、アメリカ国民であるなしにかかわらず、日本に民族的つながりを持つ者達は、遺伝的に信用のおけない存在であるとする陸軍高官に耳を傾けたのです。1942年2月19日、ルーズベルト大統領は、大統領令第9066号に署名し、陸軍に軍事排除地区を指定し、「すべて、どのような人物でも」危険と認められれば、立ち退きを強要できる権限を与えました。この大統領令は、日本人の血を引いた人達に適応されましたが、ドイツやイタリア系の人達には使われなかったのです。ハワイ州に住む15万8千人の日系人達も、集団立ち退きを強い
られていません。アメリカ
西部の各州からのこのような集団「避難」に対して、反対の声はほどんど聞かれませんでした。1942年3月、途方にくれる日系人達は、武装した兵士に伴われ、どこへ行くかも知らされないまま、自宅や経営する事業からの立ち退きが始まったのです。
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