日系(にっけい)アメリカ人(じん)市民(しみん)同盟(どうめい)

JACLの事務所(じむしょ)を出る(でる)二(に)世(せい)男性(だんせい)(1942年(ねん))カリフォルニア州(しゅう)、センタービル
Courtesy of the National Archives and Records Administration

日系(にっけい)アメリカ人(じん)市民(しみん)同盟(どうめい)(Japanese American Citizens League、略し(りゃくし)てJACL)は、人種(じんしゅ)差別(さべつ)や偏見(へんけん)にさらされた日本人(にほんじん)の血(ち)を引い(ひい)た人達(ひとたち)や、他(た)人種(じんしゅ)の人達(ひとたち)の人権(じんけん)を守る(まもる)ため、1929年(ねん)に設立(せつりつ)されました。今日(こんにち)では、アジア系(けい)アメリカ人(じん)の中(なか)では最大(さいだい)の人権(じんけん)擁護(ようご)団体(だんたい)に発展(はってん)し、米国(べいこく)内(ない)の各所(かくしょ)に多数(たすう)の支部(しぶ)を持っ(もっ)ています。当初(とうしょ)の指導(しどう)者(しゃ)達(たち)は、大学(だいがく)教育(きょういく)を受け(うけ)た親(しん)アメリカ派(は)の二(に)世(せい)達(たち)でした。1930年代(ねんだい)、日系(にっけい)アメリカ人(じん)市民(しみん)同盟(どうめい)は、いくつかの差別(さべつ)的(てき)な法律(ほうりつ)の撤回(てっかい)にも成功(せいこう)しています。同(どう)団体(だんたい)は、政治(せいじ)的(てき)には、対立(たいりつ)より融和(ゆうわ)を図る(はかる)という立場(たちば)を取っ(とっ)ていました。1942年(ねん)の冬(ふゆ)に、一世(いっせい)の日系(にっけい)社会(しゃかい)の指導(しどう)者(しゃ)達(たち)が逮捕(たいほ)された後(のち)、当時(とうじ)設立(せつりつ)されたばかりだったこの市民(しみん)同盟(どうめい)は、日系(にっけい)人(じん)と連邦(れんぽう)政府(せいふ)の仲介(ちゅうかい)者(しゃ)的(てき)役割(やくわり)をにないます。立ち退き(たちのき)命令(めいれい)に抵抗(ていこう)するのは無駄(むだ)な努力(どりょく)だという判断(はんだん)から、日系(にっけい)人(じん)のアメリカ政府(せいふ)に対する(にたいする)忠誠(ちゅうせい)心(しん)を証明(しょうめい)するため、政府(せいふ)当局(とうきょく)に全面(ぜんめん)的(てき)に協力(きょうりょく)することを人々(ひとびと)に呼びかけ(よびかけ)たのもJACLでした。収容(しゅうよう)所内(しょない)では、会員(かいいん)達(たち)は政府(せいふ)管理(かんり)者(しゃ)に協力(きょうりょく)し、政府(せいふ)反対(はんたい)者(しゃ)達(たち)を非(ひ)アメリカ的(てき)だと批判(ひはん)します。JACLは日系(にっけい)社会(しゃかい)を裏切っ(うらぎっ)たと感じる(かんじる)人(ひと)もあり、いくつかの収容(しゅうよう)所(しょ)では、会員(かいいん)達(たち)が犬(いぬ)(裏切り者(うらぎりもの))だとして、暴行(ぼうこう)を受ける(うける)こともありました。1970年(ねん)、80年代(ねんだい)には、賠償(ばいしょう)金(きん)請求(せいきゅう)活動(かつどう)を推し進める(おしすすめる)のを援助(えんじょ)しています。

 

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当時(とうじ)を語る(かたる)インタビューから

JACLは、日系(にっけい)社会(しゃかい)とアメリカ政府(せいふ)の仲介(ちゅうかい)者(しゃ)役(やく)になったことで、かなり重要(じゅうよう)な団体(だんたい)とみられるようになりました。逆(ぎゃく)に言え(いえ)ば、政府(せいふ)がJACLを仲介(ちゅうかい)者(しゃ)として選ん(えらん)だために、JACLが情報(じょうほう)源(げん)として、それに、いろいろ湧き(わき)上がっ(あがっ)てくる問題(もんだい)に関して(にかんして)どう対処(たいしょ)すればいいのか助言(じょげん)を求める(もとめる)場所(ばしょ)として、一目(いちもく)置か(おか)れるようになったんですね。避難(ひなん)命令(めいれい)に従う(したがう)ことで、多く(おおく)の人(ひと)はJACLが政府(せいふ)当局(とうきょく)にへつらってると思っ(おもっ)たし、協力(きょうりょく)者(しゃ)として行動(こうどう)したことでも、(政府(せいふ)の)命令(めいれい)に従っ(したがっ)たと非難(ひなん)されました。あの時期(じき)を通して(をとおして)、JACLに対して(にたいして)良い(よい)思い(おもい)を持っ(もっ)てる人(ひと)は少なかっ(すくなかっ)たですね。JACLの指導(しどう)者(しゃ)達(たち)は、やむを得ず(やむをえず)権力(けんりょく)者(しゃ)的(てき)な態度(たいど)を取っ(とっ)ていたのですが、日系(にっけい)社会(しゃかい)の人(ひと)たちは、それに反感(はんかん)を抱い(いだい)ていましたよ。その一方(いっぽう)で、JACLは、どんなことであれ、コミュニティーの業務(ぎょうむ)をまとめられる唯一(ゆいいつ)の団体(だんたい)だったんです。一世(いっせい)のコミュニティーの団体(だんたい)は、ことごとく閉鎖(へいさ)されてしまっていましたからね。JACLが唯一(ゆいいつ)存在(そんざい)した日系(にっけい)アメリカ人(じん)の団体(だんたい)だったんです。それで、JACLに対して(にたいして)は、好き嫌い(すききらい)両方(りょうほう)入り(いり)混じっ(まじっ)た感情(かんじょう)が持た(もた)れていましたね。皆(みな)、いろんなことをやってくれることには感謝(かんしゃ)してたんですが、アメリカ軍部(ぐんぶ)と政府(せいふ)の代表(だいひょう)者(しゃ)である限り(かぎり)は、批判(ひはん)的(てき)で良く(よく)は言い(いい)ませんでした。

フランク・ミヤモト

ワシントン州(しゅう)大学(だいがく)、社会(しゃかい)学(がく)名誉(めいよ)教授(きょうじゅ)