賠償金運動
1988年8月10日、ロナルド・レーガン大統領は1988年市民自由法に署名し、公式謝罪と12万人を監禁した第二次世界大戦強制収容所の存命者全員への、2万ドルの支払いを承認しました。この法案成立は、1970年に始り、時に論争を巻き起こした賠償金運動の総決算と言えます。ことを起こしたくないと二の足を踏む多くの二世達を説得し、日系の活動家と何人かの日系以外の人達が協力して、一世と二世の強制立ち退きと収容は不当であったとの認識と、それに対する支払いのために、努力を共にしました。1943年に最高裁判所が強制収容所の合法性を認めた際、連邦検察官が証拠を偽造したことをつきとめた弁護士チームも、この運動を援助しました。連邦議会、戦時転住及び抑留に関する委員会(the Commission on Wartime Relocation and Internment of Civilians、略してCWRIC)が、謝罪と支払いを勧告する前に、全国からの元収容者からの証言を公聴しました。何百人という人々が議会に働きかけると同時に、二世の議員達が、議会を通して賠償金法案の通過に力を注いだのです。1990年10月、最初の賠償金が、第二次世界大戦強制収容所の最も老齢の生存者達に支払われました。
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