再出発
1945年の初めから、アメリカ西海岸地域は、日系人の帰還の受け入れを始めます。大部分は、人種差別からくる敵意や、自警の脅迫など周囲の闘争的な態度にもかかわらず、自分達の土地へと帰って行きました。多くの人が、教会の地下や、近所の人達に預けていった所持品が姿を消し、自宅や農園は略奪され、放置されていたり、法的権利もない人達に横取りされていたりする状態を目の当たりにすることになるのです。中には、信用のおける知り合いが留守を守ってくれていたお陰で、また生活を築きなおせた幸運な人もいました。しかしながら、住宅が不足しているうえ、収入もない多くの元収容者は、寺や日本語学校に設置された粗末なホステルでの共同生活を余儀なくされたのです。職を見つけるのも、特に年を取ってしまった一世には困難で、多くの人は経済的に自立していた生活から、過酷な下働きの暮らしへと落ちて行きました。多くの日系人は、収容所に監禁されていたことも痛ましいものながら、(政府から支給されたわずか25ドルと片道切符を手に)開放後、いちからやり直すことは、それ以上に困難なものだったと語ります。アメリカ中西部や東海岸の新しい土地では、差別を受けた人もいれば、西海岸地域を離れ、人々はアジア系の顔を受け入れてくれ安かったと言う人もあり、元収容者達は複雑な歓迎を受けることになります。
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