学生の解放
1942年の時点で、二世のうち最も多かった年齢は21歳でした。アメリカ西海岸から立ち退き命令が出たとき、何千人もの二世は大学に通っていたのです。この強制立ち退きに反対して、学生を軍事排除地域外の学校に移そうした大学もありましたが、必要な手続きを行うには時間がありませんでした。強制収容所に入れられてしまうと、大学生達は、そこに取り残されてしまいました。収容所には小学校と高校はありましたが、高等教育機関への道は閉ざされていたのです。人道主義や宗教団体は、支援活動を組織し、二世の学生達を収容所から出し、大学での勉学を始めたり、再開したりできるよう資金援助を行っていました。特にアメリカフレンズ奉仕団(The American Friends Service Committee、クエーカーとしても知られる)は、「全米日系アメリカ学生転住審議会」(National Japanese American Student Relocation Council、略してNJASRC)の設立を援助し、軍事排除地域外の約600校の大学に、4千人あまりの二世を入学させました。NJASRCは二世が収容所を出るための膨大な事務手続きを手助けし、周囲の地域住民の反対を抑えて日系の学生を受け入れるよう大学を説得し、奨学金と生活費を提供するために資金を募りました。このような二世の学生達は、日系人を代表する者として見られ、優秀な成績をあげなければならないという、大きなプレッシャーを感じることになります。最近になって、カリフォルニア州を初め、他の州でも、何校かの大学が強制収容により勉学を中断された二世達に名誉学位を手渡しました。
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