ツールレイク隔離センター
カリフォルニア州北部のツールレイク強制収容所は、戦時転住局によって運営されていた10ヶ所ある収容所の一つとして開設されました。1943年に、欠陥だらけだった忠誠登録の答えに基づいて、合衆国政府が不忠誠とした人達のための、隔離センターへと変更されることになるのです。1943年9月に、ツールレイクにいた日系人で、政府によって忠誠心があるとされた人達は他の収容所へと転出し、他の強制収容所からは、不忠誠だとされた人達が入所して来ました。また、既にツールレイクに収容され、再び移動するより留まることを選択した人達も6千人以上いました。ここでは、収容所以外の場所に移転することは、全員禁止されていました。およそ千人の警備員が導入され、二重のフェンスが建てられ、軍用戦車が収容所を取り囲んでいました。強制捜査は1年に及び続行されました。収容数は最高で1万9千人に膨れ上がり、密集状態は収容所内の緊張を高めます。1943年10月、住民と管理関係者の間での口論の後、戒厳令が布かれ、これは外部の報道機関によって暴動にまつりあげられてしまいます。管理体制に反抗的だとの疑惑を持たれた男性達は、法的手続きも踏まず、柵内に閉じ込められました。1944年の春には、収容所管理者は、すべての集会を禁止し、学校、職場、スポーツ、リクレーションが閉鎖となります。ツールレイクでは、親日的な団体や、日本に帰国を希望する親からの圧力で、5千人以上の二世がアメリカの市民権を破棄することになりました。この隔離センターは、1946年3月に閉鎖されます。
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