海を渡った日本人移民・移住者と郷里とのつながり

~現在に遺る日本人移民・移住者が出身地域に遺した記憶・痕跡~

 

菅原神社(滋賀県)

菅原神社
(滋賀県彦根市、1918建立)

日本人移民・移住者と故郷の寺社

日本人移民・移住者が海を渡った後も、郷里とつながり続け、貢献し続けた事例が地域の寺社のなかで見つけることができます。移住先で働き貯めた資金をもとに郷里に貢献した様子が、今も鳥居や梵鐘、玉垣、狛犬、寄進者銘板等に刻まれています。

寺社に遺る日本人移民・移住者の郷里とつながり

滋賀県彦根市の菅原神社には、1918年にアメリカへ渡った氏子たちが資金を出し合って新しく建立した石鳥居があります。そして、本殿や拝殿の移設、境内の整備もあわせて行われ、そうしたアメリカ移民の功績をたたえる記念碑が境内にあります。その記念碑には、寄進者の名前が数多く刻まれています。

泊清寺(山口県周防大島沖家室島)

泊清寺
(山口県周防大島沖家室島)

そこには寄進の金額も記載されていますが、現在の金額でも数千円~数万円の寄進もあり、決して数人の移民・移住者が多額の寄進をしたのではなく、幅広い多くの氏子が小口でも郷里に貢献しようとした様子が伺えます。このほかにも、高知県いの町の二社神社には「在米中帰郷記念 大原貢」と刻まれた鳥居が立ち、山口県周防大島町沖家室島の泊清寺には1950年にホノルル在住の夫婦が故郷の寺に寄進した梵鐘が今も残ります。

蛭子神社(山口県周防大島沖家室島)

蛭子神社
(山口県周防大島沖家室島)

また、寺社への寄進の例は、寄進者芳名板や玉垣という形で多く残っています。具体的には、和歌山県美浜町三尾地区にある龍王神社や法善寺、山口県周防大島町沖神室島にある泊清寺や蛭子神社、香川県丸亀市にある高憧神社、香川県観音寺市にある高屋神社、国佑寺、一方宮で確認できます。また、狛犬を寄進している例として、上述の沖神室島にある蛭子神社や香川県三豊市の高津神社で確認できます。

寺社に根付く移民・移住者との時代を超えた交流

こうした寄進は、物だけでなく人のつながりも生み出してきました。泊清寺がある沖家室島は、かつて海上交通や漁業で栄え、多くの島民が海外へ渡りました。寺には古い寄進者銘板のほか、近年でもハワイなどからの寄進が刻まれています。その背景には「かむろ会」という交流組織の存在があります。島内外、そして海外(ハワイ)に拠点を持ち、1980年代からハワイとの相互訪問を続けてきました。寺はまた、1914年から1940年ごろまで発行されていた通信誌『かむろ』を復刻し、現代版の「潮音」という情報誌を通じて島の近況を発信しています。こうした活動は、単なる歴史の保存にとどまらず、現在進行形の交流を生み出しています。

法善寺(和歌山県美浜町)

法善寺
(和歌山県美浜町)

和歌山県美浜町三尾地区の法善寺も同じように、海外と地域をつなぐ役割を果たしています。寺に遺る寄進版には、カナダのトロントやバンクーバーからの寄進者の名前があります。また、同地区には「カナダ・ミュージアム」があり、カナダから自分のルーツを辿る観光客が訪れ、その足で法善寺にも立ち寄ります。寺に残る資料等を案内することもあるそうです。こうしたお寺が、先祖の足跡を探す旅(ルーツ・ツーリズム)の拠点としても機能し、移民・移住者と郷里をつなげ続けています。

寺社に残る日本人移民・移住者の想い

このように、寺社には今も多くの日本人移民・移住者と郷里のつながりを今に伝え遺すモノが現存しています。鳥居や玉垣、寄進版に刻まれた名前の一つひとつをみることで、日本人移民・移住者が、遠く離れた海外から、日本の郷里に対する想いをうかがい知る貴重な手がかりだと言えます。

他方、日本が直面する人口減少による地域コミュニティの衰退は待ったなしで進んでいます。無人で管理がされない寺社は増えつづけています。上記で触れた事例は今もコミュニティのなかで大切に守られている寺社ですが、そうではない寺社のほうが多いでしょう。そうした寺社が増えることで、その地域に遺る様々な記憶や痕跡は失われ、日本人移民・移住者が遺した鳥居や玉垣、寄進版もその例外ではありません。

いま、日本人移民・移住者が郷里とつながり、貢献した記憶・痕跡は失われる危機にあるといえます。

 


渡邊 倫 / WATANABE Rin
東京大学大学院人文社会系研究科博士課
現在に遺る日本人移民・移住者が出身地域に遺した記憶・痕跡に係る調査研究を実施中