海を渡った日本人移民・移住者と郷里とのつながり
~現在に遺る日本人移民・移住者が出身地域に遺した記憶・痕跡~
学校施設への寄付・寄贈に見る郷里とのつながり
日本人移民・移住者の郷里とのつながりとして、教育面での貢献は非常に大きなものです。具体的には、郷里の学校施設(講堂やグラウンド、体育施設など)の整備、ピアノの寄贈や教育基金の設置など、様々な形で貢献していました。そして、現在も日本人移民・移住者の寄付・寄贈によって整備された学校施設が残っており、郷里への貢献と深い絆を今に伝え遺しています。
旧江住中学校体育館「南記念館」
和歌山県すさみ町にある旧江住中学校体育館「南記念館」は、アメリカでレタス等の大規模農園事業で成功を収めた南弥右衛門氏による寄付によって1960年に建設されたものです。同氏は、出身地の旧江住村に対し、学校用品やグランドピアノの寄贈など、教育面で多大な支援を行いました。特に、この南記念館は、当時の近隣地域には例のない屋内体育施設であり、非常に貴重な施設でした。この屋内体育施設という素晴らしい練習環境のおかげで、地域のスポーツも非常に強く、まさに地域の誇りとして親しまれたそうです。
しかし、少子化の影響により江住中学校は2011年に廃校(同地区の江住小学校校舎内に移転。2017年に閉校)となり、南記念館も同時に閉館しました。現在、旧江住中学校校舎は建て壊され、跡地には道の駅すさみが整備されています。一方、別棟であった南記念館は躯体も健全であったことから、町は施設の改修を決定し、2015年に「すさみ町立エビとカニの水族館」として再生されました。現在では約150種の甲殻類を展示する教育施設として、多くの児童・生徒が訪れています。館内には南氏の功績を紹介するコーナーも設けられ、地域の教育振興という南弥右衛門氏の志が今も息づいています。
旧周防大島町立屋代小学校講堂
もう一つ、山口県周防大島町にあった「旧周防大島町立屋代小学校講堂(周防大島町)」を紹介します。これは、1951年の台風被害によって旧屋代小学校の講堂が倒壊したのち、その再建にあたってハワイ移民から多額の寄付がなされ翌1952 年に再建されたものです。この立派な講堂は、旧屋代村出身のハワイ移民・移住者が郷里とのつながりを保ち続け、地域の教育に多大な貢献したことを示すものです。
他方、こちらも少子化の影響により、2010年に廃校になっています。筆者が2023年当時に訪問した際には、建物は残っていたものの、建て壊しを待つばかりの状態でした。また、建物の周囲には寄付の事実を伝える碑や案内板はなく、記憶の継承が危ぶまれています。幸いなことに、同島には日本ハワイ移民資料館が存在し、館内には「屋代小学校講堂建築資金特別寄附者芳名禄」の写真資料が展示されているなど、この地域への多大な貢献の記憶が今も語り継がれています。
郷里の子どもたちへの想い
このように、日本人移民・移住者が郷里の教育に多大な貢献をしていた事例は多くあります。上記で挙げた事例以外にも、沖縄県金武町の「金武尋常小学校校舎」(1925年)、山口県沖家室島の「沖家室小学校跡の二宮金次郎像」「沖家室中学校ハワイグラウンド」、さらには愛媛大学に設置された「南加記念ホール」(1955年)など、教育施設への寄付・寄贈の事例は多岐にわたります。これらは、日本人移民・移住者が、郷里の子どもたちの教育環境を向上したいと願い、遠く離れた地から支援を続けた証です。
他方で、上記の事例のように、日本が直面する人口減少による地域コミュニティの衰退によって、多くの学校が廃校になっています。これにより、後世に日本移民・移住者の地域の教育への貢献を伝え遺すことが非常に難しくなっています。そして、日本の地方における学校施設の統廃合は今後も加速していくことが想定されます。今後、どのように日本人移民・移住者の郷里への想いを伝え遺すか、早急な検討が求められています。
渡邊 倫 / WATANABE Rin
東京大学大学院人文社会系研究科博士課
現在に遺る日本人移民・移住者が出身地域に遺した記憶・痕跡に係る調査研究を実施中
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