二世の徴兵拒否者の裁判(1944年) ワイオミング州、チェイン Courtesy of Frank Abe
抗議者達

1940年代、アメリカ政府によってばらまかれた一般向けの情報は、日系人はアメリカへの忠誠心を証明するために、喜んで監禁されたと強調していました。しかし実際には、多くの個人や団体が、自由の喪失と権利の剥奪に抗議していたのです。抗議の方法はいろいろでした。何人かの二世は、政府にかせられた夜間外出禁止令と排除命令に対抗し、ゴードン・ヒラバヤシ、ミノル・ヤスイ、フレッド・コレマツ、ミツエ・エンドウの4者は訴訟を起こし、アメリカ最高裁判所での審議に至りました。初めの3者は政府の命令を無視したとして有罪判決を受けます。エンドウ氏の訴訟は、後に収容所の閉鎖につながったものの、裁判所はこのような強制収容が違法であるとは認めませんでした。日系人の労働者達はストライキやデモを決行し、危険で不平等な労働と生活条件の改善を求めて嘆願書を提出し、アリゾナ州ポストン収容所や、カリフォルニア州マンザナー収容所のように、暴動にまで至ったこともあります。1943年には、何千人もの人々が、忠誠登録の強制に反対しました。この悪名高い忠誠登録に反対したことで、日系人は不忠実とみなされ、カリフォルニア州ツールレイクにある弾圧的な隔離収容所へと送られたのです。徴兵に応じる前に、彼らの人権の回復と親の幽閉からの解放を要求することで、抗議を表した二世も何百人といました。判事達は、この主義主張の通った訴えを退き、徴兵回避で300人以上の若い男性に有罪判決を下し、連邦刑務所に送ってしまいます。

 

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二世の徴兵拒否者の裁判(1944年)
ワイオミング州、チェイン
Courtesy of Frank Abe

当時を語るインタビューから


召集令状を受け取った時は、まったくうれしくなかったですね。「どうしてこんなことができるんだ?」と言いましたよ。政府は私達の権利を奪って、日本人であること、顔が違うということだけで罰した(収容所に入れた)んですから。理由はそれだけです。ドイツ人とイタリア人の中でも、ある地域から立ち退かされた人がいたかもしれませんが、民間人が強制収容所に入れられるなんてことはありませんでした。明らかに人種差別です。誰にだって分かっていました。アメリカ人は否定しますが、それが真実です。事実がそれを物語っていますよ。それでも一生懸命やるしかないというのは、よく承知してましたがね。「政府がいうんだから、召集に応じる。それしか、アメリカ国民になれる手はないかもしれない。」と、兄(弟)が言ったようにね。でも、私は、それは違う。僕達だってアメリカ国民なんだから、白人のアメリカのご機嫌をとるために、出征して自分を犠牲にすることはないって言ったんです。「どうして、自分達の権利を回復したあとで出征しちゃいけないんだ?」ってね。入隊する前に、憲法にのっとった権利の回復のために戦わなければならない。私は「それが唯一正当な道だろう。」と言ったんです。

ミツ・コシヤマ

19歳の時にワイオミング州ハートマウンテン収容所から、徴兵されるのを拒否し、召集回避で2年間連邦刑務所に投獄される